ロシア革命100周年を祝い、そしてソビエトの敗北を呪う。

      2017/11/08

ロシア革命100周年を祝うべきそして、その敗北を呪うべき日がとうとうやってきた。

この日を反社会主義の陣営は喜び、親社会主義の陣営は、あるいは単に歴史の思い出として喜ぶものから、ブルジョアの手代として喜ぶ自称親社会主義の者まで様々である。しかし、歴史上の最大の出来事であったロシア社会主義革命を祝うにあたり、その敗北の原因について言及しないことは許されないだろうと私は考える。

全てこれまでの歴史は階級闘争の歴史である。1917年11月7日に勝利したロシア10月革命(旧暦)は、1991年12月25日のソビエト連邦の解体に至るまでの約70年の及ぶロシアの革命の全体を評価することは私には荷が重い。しかし、その革命の勝利の理由は多くの共産主義者に語られながら、敗北についての見解は多くのブルジョアやブルジョア理論に影響された偽共産主義者にしか語られてきていない。そして私は自分がその偽共産主義者の列に並ぶことを恐れながら、しかし黙して語らぬことで、己が堕落していく道を選ぶことはできなかった。

何故なら、私はマルクスの理論に基づけば親社会主義でなければならなかったし、一国社会主義批判等のトロツキストの思想とははるか過去に決別していたからだ。多くの誤りを伴いながら帝国主義と闘うことを余儀なくされたロシアの革命が何故敗北したかを、私も含め親ソ主義者は「冷戦による帝国主義の軍事的負担による経済建設の困難」を上げるが、それは一面でしかないし、最も重要な本質を欠如している。

ロシア市議会を包囲した、西側ブルジョアに資金援助されたエリティンの武装部隊に多くの市民がいたわけではない。せいぜい数千人だったが、それでも、その武装市民組織に対して、ソビエトの労働者階級の武装部隊は社会主義の堅持のために武装反撃を一切しなかった。そのことを語るべき時が来た。つまりソ連軍を含め社会主義の堅持のために武装組織は行動せずもっぱら西側に支援されたエリティンの少数の勢力が武装暴力反革命に成功したのだ。

そのことについて、マルクス・レーニン主義者は口を閉ざしている。ソビエトの社会主義勢力が武装抵抗しなかったこと。そのような社会主義の放棄に対して原則的なマルクス・レーニン主義者が批判と思想闘争を挑まないとすればそれは、それは思想闘争の放棄だと私は思っている。そしてそのことを表明する機会は、今日この日しかなかったのだ。

つまり、ソビエトには社会主義を武装して守るという武装組織はなったのだ。それが単純な答えに過ぎない。どうのようにして、ロシアの革命がそのような状態になったのかを解明しなければならないが、大仰に語る話でもない。本質的にはマルクス・レーニン主義のの最も重要な概念である社会主義はプロレタリアートの独裁であり、それは組織されたプロレタリアートの武装によって保障されるのだが、その理論的概念が現実化していなかったのだ。労働者階級は武装していなかった。

「一党独裁問題」に突き当たらざるを得ない。そして、そこには、社会主義は共産党の指導によって勝利するという概念のブルジョア的な誤りを正さねばならない。共産党の指導によって社会主義の勝利は保障されるわけではない。何故なら、共産党が正しい社会主義理論やマルクス主義に基づくという保証はどこにもないからだ。理論的命題としてこれほど明確なことはない。組織の無謬の保証等どこにもない。そして現にソビエトだけでなく全世界の共産党から共産主義を語る新左翼組織、無政府主義者の組織もそうなった。

簡潔な表現による単純化の弊害を恐れずに言えば、「一党独裁は単純に共産党の無謬性を主張するだけ」にしかならない。マルクス主義の思想は、弁証法であり、「完全な無謬」を認めない。組織は、絶えずそれを検証し牽制する機構がなければ、その存在は腐敗する。ソビエト共産党はやはり実際に腐敗したし、人民が命を賭けて守るべきものにはならなかった。それは人民によって検証されることが停止したからだ。つまり党の腐敗や理論上の誤りを牽制する機構がなかった。間違った権力組織の思想上の誤りや政策を退場させる権力への牽制機構がなかった。

国家の権力の頂点に座する組織を牽制し検証する機構はブルジョア社会にはない。では社会主義ではそれがどう存立するのか?それは軍隊と警察という軍事組織の民主化である。つまり軍事組織の幹部をすべて選挙制で選ばなければならない。共産主義者は議会での「おしゃべり」だけでなく、執行責任を同時に負う新しい社会主義的議員となる一方で、軍事組織の中での権威が必要不可欠なのでもある。そして、その組織を広く全人民にゆだね、国家権力の腐敗を人民の牽制力つまり労働者階級が圧倒的多数を占めざるを得ない軍隊と警察の力によって己を牽制する必要があった。それがレーニンの思想でもあった。

これらの概念はレーニンは革命の前にすでに提起している。ブルジョア議会の罷免制度とともに、軍隊と警察の人民化を定式化していた。しかし革命後、レーニンはプロレタリアによって組織化された赤軍の機構をもっぱら帝国主義の干渉戦争と闘うために「戦時共産主義体制」に移行せざるを得ず、将官の選挙代議制にまで制度化を進めることができなかった。帝国主義の包囲によって思想として表明していたが実現できなかった多くの社会主義的制度はレーニンが反革命の凶弾によって早くに他界せざるを得なくなったために中座した。後継者はそれを反故にした。

一党の独裁の誤った概念によって、ソビエトの社会主義的組織が社会主義的機能の不全に陥ったことは明確である。その過程は69年の苦闘の中で語られなければならない。ソビエトの人民は帝国主義と闘うことを支持し、膨大な労力がそれに費やされ、アメリカ帝国主義の世界支配の野望は大きく打ち砕かれたがそれでも帝国主義は勝利した。同時のソビエト人民がアメリカと闘ったことの理由の半分は「大ロシア民族主義」に依拠していたことも事実だ。

軍事的対決主義で世界革命を実現することはできない。そのための共産主義の最も重要な理論的概念はすでに既出である。「不干渉」つまり「民族の自決」である。他国に干渉してはならない。そして干渉すれば、帝国主義との直接対決となり結論は世界の労働者階級に支持されない「核武装」に必然的に至る。実際にどうだろうか?世界の歴史を人質にした危険な均衡がどれほど支持されるだろうか。困難な道であるし、帝国主義がそのような軍事的対抗を容認するかどうかというと容認しない。結果は果てしない軍拡競争になるし、なった。そして劣位の社会主義経済は機能不全にさえ陥る。

当初の社会主義ソビエトには労働者階級の国家としての緊張感があった。世界からの批判にも付されていた。ソビエトの国家機構は一両日で変わったわけではない。漏れた水が柱を腐らせていくように徐々に69年の月日とかけてソビエト社会主義の社会機構を腐敗させていった。その腐敗の根本には共産党の決定が無謬であるとする思想的誤りとそれを現実化する一党独裁論にある。牽制のない組織は必ず腐敗する。これは階級闘争の概念と表裏一体の概念である。社会主義は無階級闘争の時代ではない。検証し牽制する機構亡き社会主義は必ず腐敗し敗北する。

議会を多党制に変えることこそが一つの答えである。ブルジョアの批判を受け入れよ。それは己を批判するために最も簡単な方法だろう。己のマルクス主義をブルジョアとの闘争によって鍛えなければ、自己の思想を階級闘争の中で最高の状態にすることはできない。そしてそれが近代の社会が生み出した政治制度、つまりブルジョア議会主義の一つの達成でもある。臣民による御前会議ではない「ブルジョア選挙による代議制政党政治」の達成の意味を共産主義者と社会主義は正しく理解しなければならない。

議会に対するけん制を議会とは違うプロレタリア軍隊によって保障する機構が必要だ。ブルジョア議会が「神聖な私的所有の廃止」に手を出した場合、プロレタリアの軍事組織がそれを粉砕する機構を建設すべきである。

世界でただ一国だけこの問題を半分だけ解決した国がある。社会主義制度化において人民に自由な武装の道を実現しようとしている国がある。つまり民兵武装制度。もちろん一党独裁の国なのだが。キューバ共和国である。その仕組みは他の社会主義国とは本質的に違う。資源もほとんどない、最も貧しい社会主義国が経済的にどこま帝国主義に抵抗できるのかは保障はない。しかし間違いなく、レーニンの思想の本質を社会主義国家制度の中に実装しようと努力している唯一の国でもある。民兵制度と全人民武装。中国にも北朝鮮にもベトナムにもない。その思想の根幹は、人民への依拠にあるのだろう。彼らは社会主義理論で大きな論文を発表しているわけではない。しかし、間違いなくキューバ共和国の指導者は清貧の努力を続けている。それはアメリカと闘うため富者の支配に対する対決もあるだろう。それはポーズでは実現しえない過酷な努力にも思える。

私はキューバ社会主義を支持しているが、キューバの共産主義理論が必ずしも正しいとは思っていない。それでも人民的牽制機構の面でキューバ社会主義程の先進的社会主義国はない。一党独裁理論というソビエト社会主義理論からは逃れられていない。つまり一党独裁は帝国主義が軍事的に押し付けた政治的危機への社会主義的防波堤ともなっている。同時に民主主義への負担でもある。彼らがその理論を放棄できるかどうかは多分に政治情勢による。つまり理論上の問題だけでなく社会主義国が生き残るためのブルジョアの攻撃に対する政治局面での政治的防御も意味している。多党制はもちろん搾取によって豊かになる道の勧誘をもたらす。すなわちアメリカ的繁栄への勧誘。そして現在の政治情勢下ではそれとの闘争が必要不可欠だ。

帝国主義に住む我々が自国の努力だけで豊かになったと思って勘違いしている搾取帝国に対して社会主義国は闘おうとしている。どんなに帝国主義国の国民と共産主義者を自称する人々が自国日本帝国主義の植民地収奪の繁栄に無批判でも、社会主義国はそれと決別するために闘わざるを得ない。世界の現実との闘争である。「半分は正しいが半分は他民族の抑圧と収奪によって実現している豊かな先進的文化的」生活こそが現在の社会主義国が闘おうとしている世界である。中国はそれと闘う道を半ば放棄し、社会的生産手段の私的所有を解除し、つまり株式制度を導入し、資本主義的経済的覇権主義の道を模索しているように思える。北朝鮮とベトナムは必ずしもその道にはいない。北朝鮮は軍事的対決主義の道ではソビエトのやり方をミニマムにした闘いの縮図のような道を進んでいる。キューバ一国だけがまだその道に対して人民の団結を意識して闘おうとし続けている。そして私は先進国の共産主義者の己に対する無批判な社会主義批判に対して当然批判せざるを得ない。いわんや選挙の集票活動のためにまで堕落している場合には言うまでもない。

社会主義は困難な時代に直面している。
本当はこの文書は時間をかけて整理して書こうと思っていた。実は今日の朝から書き始めた。下書きのノートの列挙からは5分の1程度のことしかかけていない。短い文書は一面的な誤解を生むこともあるだろう。しかしネットの時代。自分の見解の補足や修正つまり自己批判が容易にできる時代にもなった。そして私は今では批判されることを恐れてはいない。自己の無謬を主張するつもりもない。それでも現存する社会主義の勝利が私の望むことでもあり、同時にそのためには帝国主義への批判、更にその前提にたった社会主義への批判の在り方を熟考し、その結論として社会主義の勝利のためには、やはり先進国での社会主義革命が必須だとますます思うし、そのことが世界革命が実現しない問題なのだと考えている。

そして日本の民主主義をめぐる闘いでは、まさに、反社会主義を思想的な出発点にしたアメリカ帝国主義の北朝鮮包囲戦争の思想的な部分での闘争の欠如が、日本の民主主義運動全体を困難にしている。アメリカ帝国主義が続けてきた反社会主義封殺政策と原則的に闘うことができなかった共産主義を自称する人々は今だに、帝国主義の反社会主義思想と闘えないために、自国の民主主義破壊の現状に無防備となっている。帝国主義の北朝鮮批判の尻馬に乗ってはならない。北朝鮮の個々の対応を絶えず歴史的観点から問題にしその本質的な帝国主義的政策に対して批判しなければ、ブルジョア議会の人気取りのために北朝鮮を批判し帝国主義者の提灯持ちになってはならない。

いささか尻切れトンボな文書となったことを許してほしい。何分、今日の朝10時から書き始めた。
テーマとして書こうとした次の課題は社会主義革命と一体の話だが、今日は書ききれそうにもない。
「日本帝国主義の歴史と封建的差別性、部落差別、在日差別と社会主義革命」
「戦前立憲制度と戦後立憲制度の違いと現在の戦後立憲制度の危機」
「日本のブルジョア議会制度の危機と闘いの社会主義的意義」
「社会主義経済建設とコンピュータ、ネットワーク、シミュレーション、フィードバック、等の機構の必要性、つまり弁証法的経済機構の建設の必要性」
「労働者階級の団結と闘争の意味と日本の階級闘争」
「ブルジョア議会主義とブルジョア民主主義あるいはブルジョア独裁、階級闘争と独裁のマルクス主義的理論」
「権力と民主主義、ブルジョア科学主義一般・客観主義の批判」

等々。
これらはこれから書いていきたいと思う。

そして最後に呼びかけたい。

日本では「労働政策、食料政策、エネルギー政策、国防政策」等の日本の政治体制の根幹的政策部分で支配階級の全面的な攻撃が始まっている。そして、その攻撃の内容においては、憲法の根本的な改悪なくしては、最早、支配階級が人民大衆を収奪・抑圧することが不可能な段階となっていることを示している。支配階級の攻撃の最大の的は改憲であることは言うまでもない。闘おう。そして阻止しよう。そして団結するのだ。

偉大なロシア革命100周年万歳!
万国の労働者、被抑圧民族、そして被差別民衆よ団結せよ!

2017年11月7日 雑賀党:加瀬徹

11月8日:誤字脱字を修正

 - 共産主義と政治思想